法話:除夜の鐘(R5/01/18)

今日は、1月18日、令和5年、今年最初の観音様の日であります。

先日の大晦日では、当寺においても、除夜の鐘をつく行事を行わせていただきました。

除夜の鐘とは、ちょうど日付けが変わり、新しい年になる深夜0時をはさんでつく、鐘のことを言います。

心月齋では、毎年42才の厄才の方にお願いしまして、108回の数を数えてもらっています。108回突くと言うことに関しては、いろいろ諸説がありますが、108つの煩悩というよりも、108という数は、「沢山あるという意味」だと考えていただければいいと思います。

最近では、世知辛い世の中になりまして、梵鐘が鳴って眠れない、騒音であるという声が聞かれ、周りの環境に対応すべく、昼間のあいだに鐘をつくお寺さんもございます。

さいわい当寺は、地域の行事などでお寺が使われることもありまして、そこまではいたっておりません。12月31日から1月1日にかけて除夜の鐘をつくという行事は、各お寺によって変化があり、時間帯にも幅が出てきたのではないかと思います。

仏教の基本的な考え方で、中道という考え方があります。「対立または矛盾しあう両極端の立場を離れ、どちらにも偏らない真ん中な立場を貫くこと。」

このことを考えますと、12月31日に半分、1月1日に半分ずつ突くのが理想であります。今年は当寺では11時45分からつき、20秒の間隔で午前0時20分頃に終了しました。時間にして約35分であります。

去年は、11時40分に突き始め0時15分頃に終わりました。

なぜ、今年は11時45分に開始したのかと申しますと、去年、12時にお宮さんにお参りに行ってからこちらに来られた方がいまして、梵鐘がつけなくて残念だったと言われましたので、日にちを過ぎてからの時間を多くとりまして、11時45分に開始することにしました。ちょうど半分にするという考え方もありますが、そんなきっちりとしなくてもいいのではないかと考えます。

各お寺の梵鐘は、鐘の音や、ついてからの余韻の響きなども違います。余韻がながく、30秒ごとに梵鐘を突くと17分30秒長くなり52、3分かかることになります。

間隔を40秒にすると35分の倍、1時間10分かかることになります。寒空の中で、数を数える方の体調のことを考えますと、なるべく効率よく短いことが望ましいでしょう。各お寺の考え方もあるでしょうから、108回目が元日の0時にちょうどくるところもあるそうです。

皆さんが、梵鐘を突いている間、私は何をしているかといいますと、本堂において年始めのお経をする準備をしています。そして午前0時を過ぎますと、今年初めての朝のお勤めを始めるわけであります。お経の内容は大きく分けて3つあります。

1、お釈迦様から歴代和尚様の報恩供養。
2、檀信徒各家先祖代々の供養
3、檀信徒の身体健全、家内安全、諸災消除
の読経していくわけです。

元日はいつも、1人で朝課をしているのですが、今年は除夜の鐘を突いたことがない方が朝のお勤めも参加してくれました。

いつも誰も座っていないところに今年は、参加し座っている方がいる。何が始まるのだろうと、他の人もちょこんと座ってみる。数人だと思っていたのがまわりを見渡してみると数十人になっているではありませんか。びっくりしました。

そんなわけで皆さんに焼香をしてもらい、今年一年が平穏無事でありますようにと、申し込みがあった方、あらかじめ参加する旨があった方の読み込みをしまして、新たに参加された方は名前がいまいちわかりませんので、本日の参拝者、各々身体健全、家内安全諸災消除、諸々の災いがありませんようにと読経させていただきました。

除夜の鐘は、現在、心月齋のホームページで見られますので、興味がある方はそちらの方を見ていただければよろしいかと思います。


午前0時の朝課の時に、小学生の方もおられまして、後日知り合いの方が読み込みに、自分の名前が読まれたことにいたく感動し、うれしかったと聞かされました。

大人の中に混じって、自分の名前が読み込まれる。名前だけ聞いて見るとわかりませんが、今まで親と子供という立場の同伴で一緒に行動してこられた小さなお子さんが、大人たちに混じって名前を呼ばれた。少し大人になった気がした。

仏の法、仏法とは、年の大きい小さい、男女の区別、貧富の差など関係なくどなたにも教えを説いています。たとえ小さなお子さんでも一人前の人として扱いなさいと教えます。ひとづてに「今年も除夜の鐘を突きに行きたい」と聞きました。


これからも皆さんの後押しをできるような、お経やご祈祷を続けていきたいと思った瞬間でありました。

心月齋観音堂にて 2023/01/18