法話:我病者なり(R4/11/28)


今日は、11月18日観音様の日であります。
はやいもので、今年もあと、ひと月ちょっととなりました。

コロナがまた増えてきましたが、今年を振り返りまして、今年はどのような一年でありましたでしょうか?少しは充実した年になったでしょうか。それとも、最近、気力が衰えてきた、体調がいまいちなど、いろいろあるのではないかと思います。そんな方のためにも、曹洞宗を開かれました道元禅師様は、お弟子の懐弉禅師様に次のようにお話されています。

あるとき、1人の方が道元禅師様に言われました。
「私は現在病を煩い、力量もなく、とうてい仏道を学ぶことに耐えきれません。つきましては仏の道のいちばん大切なことを教えてもらい、限られた命、養生して一生を終えたいのです」と言いました。

それを聞いて次のように言われました。
「数多くの僧侶達は必ずしも強い身体であったわけではないのです。また、みんながみんな、すぐれた素質の人であったわけでもないのです。お釈迦様がご健在の時でも、亡くなってから、それほどたっていない時でも、みんながみんな、すぐれた人ばかりということではなかった。善人の人もいたし、悪人の人もいた。出家の弟子の中には、とんでもない悪い行ないをしたものもいたし、最低な人もいた。しかし、自分から卑屈になって修行する意欲を失ったり、自分には力がないからといって仏の教えを学ばないような人はいなかったと。

この一生のうちに、仏の教えを学び、修行しなかったなら、一体、いつになって、充分な力をそなえ、頑丈な身体になるというのでしょうか。自分のからだや命のことを考えないで、まず、仏の教えに励まされて、修行することが、仏道を学ぶ際の、最も大切なことである」と。

また、別の書物には次のように記されています。
仏の道を行ずるための特別な場所を準備し、着るもの、食べるものがそろった上で、仏の道に入ろうと思ってはならない。しかるべき因縁で手に入れば、あるに任せて持つのがよい。無理をしてまで手に入れようとしてはならない。かといって、持てるものを退けてまで持つまいと思ってもいけない。

病気も同様で、わざといっそ死んでしまおうと思って治療をしないのも、また仏の道の考え方ではない。仏の道では「命を惜しんではいけない。また、命を惜しまず粗末にしてはいけない」と教えるのであります。

しかるべきたよりがあれば、お灸を一所(ひとところ)に施し、病状に合わせて下し薬の一種類など服用することは、佛道を行ずる、行う邪魔にもならない。しかし、佛の道を行ずるのをやめてまで、病気を第一にと考え、病気がなおってから修行をしようと思うのは、仏道、仏の道の妨げであると。

石頭希遷禅師は、「参同契」というお経で「光陰をむなしくすごしてはならない」と言っておられます。さしあたって病気を治そうともがき、苦しんでいるうちに、病気はなおらないで、かえって様態が悪くなり、苦痛がいよいよひどくなると、痛みの軽いうちに仏道を行じないで残念なことをしたと思うのであります。

だから、病気によって痛みを感じたら、重くならないうちに仏道を行じておこうと思い、病気が重くなったら、死なないうちに仏道を行じておこう思うべきであると。病気というものは、治療して治ることもあり、治療しても治らないこともある。また、治療しないで治ることもあり、治療しないで悪化することもある。ここのところをよくよく考えるべきである教えています。

そして僧侶たるものは、常にそのことを考えて行動をしなければならないと。
みなさんの考えの一助となれば、幸いであります。


心月齋観音堂にて 2022/11/18

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