法話:しいたけ和尚(R4/10/18)
10月に入りまして、暑かったり、寒かったりする時がありまして、冬も間近なのを感じるこの頃であります。田んぼの稲もすっかり刈り取られ、スーパーの店頭には、「新米入荷」の旗がたち、所狭しと新米が並べられている光景が見えます。
田んぼの稲刈りは、現在、大きな機械が導入され、縦横無尽に走り、あっという間に田んぼ一枚がきれいに刈り取られていきます。昔ならば、刈り取られた稲ははざかけや天日干しをしていましたが、現在はそのような工程も省かれ、機械で乾燥し調整され、保存されています。新米が出始める頃は、古米と新米の味がはっきりと、違いがわかるものであります。そう思って、今まで常識だったことが、現在では非常識になっていることを、先日ラジオから聞かされました。
みなさんは、新米を炊くとき水の量はどうされるでしょうか?
新米だから水の量を減らすのではないでしょうか?しかし水加減を減らしてはいけないそうです。
むかしは、はざかけや天日干しをしたお米はそれでよかったのですが、現在は乾燥機で水分含有量を14.5%と一定で管理をされているので、昔みたいに水加減を少なめにする必要がないのだそうです。一度食べてみて、やわらかければ水を減らし、堅ければ水を足すのがよいそうです。お米マイスターの方が、ラジオで言っていましたのみなさんにご報告しておきます。
今月に入りまして、北海道の旭川の大雪山では、初冠雪が観測されました。
私が福井の永平寺で修行をしてきた冬は、十二月から雪が徐々に積もり、一メートルに満たない量でありましたが、それでも屋根につもると大変な重量になりますので、雪下ろしの作業は重要であります。永平寺には、たくさんの部署がありまして、掃除を司る部署は、直歳寮(しっすいりょう)、食事を司る部署は典座寮(てんぞうりょう)など、二十を上回る部署があります。その中でも、今日は、典座の仕事、食事を作るところについてお話をします。
お寺の食事係の長、トップの方を私たちは典座和尚と呼んでいます。
ご飯を作る場所を、庫院(くいん)、庫裡(くり)などと呼び、永平寺では大きい台所を大庫院、小さい台所を小庫院と呼んでいます。正確には、大庫院も小庫院も大きさ自体はあまり変わらないのですが、僧堂、いわゆる雲水たちが寝起きや坐禅をするところに近い場所にあるのを、大庫院、遠いところあるのが小庫院として分けているだけにすぎません。庫院を別名庫裡と呼ぶことから、禅宗僧侶の奥さんを、お庫裡さんと呼んでいるわけであります。
曹洞宗を開かれました、道元禅師さまは、食生活全般について書かれている書物に「典座教訓」というものがあります。
その中の一節についてのお話です。
道元禅師は貞応2年(1223)24歳の時、中国に渡られました。
ある日、若き日の道元禅師様は、一人の年老いた僧侶を見られました。老僧の背中は、弓のように曲がり、眉は鶴の羽のように白い(マ)仏殿の前で、熱い陽ざしの下、笠もかぶらずしいたけを並べて干し、いかにも苦しそうです。そこで道元禅師様は次のように言いました。
「なぜ若い僧侶や下働きの人を使わないのですか」と聞くと、年老いた僧侶は言いました。 「他は是れ吾にあらず」
「他の人にしてもらったのでは、自分のしたこと、修行にはならない」と答えます。若き日の道元禅師様は、深く感銘を受けました。
そして次のように続けて言われました。もう少し涼しくなってから、されてはいかがでしょうか」と。
年老いた僧侶は言います。
「何れの時をか待たん」いまやらずに、いったい、いつやるのか、と。暑いときに、干すのが一番最適な時間であると。
典座和尚と言う役職は、時を把握することも重要な仕事であります。
修行僧が今どのような行事、作業をし、いつご飯を食べる時間になるのか、最適な時間を見極め、温かいご飯を提供する。特に寒い冬の、暖かいご飯は、身体を芯から暖めてくれるものであります。
炊事に限らず、それまでは雑用だと思っていた、大切な勉学や修行のさまたげになると思っていた、ささいな仕事が坐禅や修行と全く、別ものではない真実を知らされて、今後の修行の持ち方に貴重な方向づけを得ました。
典座の「行」とは、『日常の立ち、振る舞い』すべて仏法で、ないものはない。食事・入浴・洗面の日常の作法も、みなこれ宗旨、仏の道、深い意味があるのだという気づくわけであります。
「茶裏、飯裏、別所に向わず」と示されるが如く、禅の要はお茶をいただくことも、ご飯をいただくことも仏道にほかならないと言っておられます。
心月齋観音堂にて 2022/10/18