冥機冥応(みょうきみょうおう)


冥機顕応(みょうきけんおう)


顕機冥応(けんきみょうおう)


顕機顕応(けんきけんおう)




冥(みょう)とは見えないところ、顕(けん)は見えるところと考えてもらえばいいでしょう。

直訳すると、見えないところでした行いが、見えないところであられることがある。見えないところでした行いが、見えるところであられることがある。見えるところでした行いが、見えないところであられる。見えるところでした行いが、見えるところであられる。この4つの場合がある。

その行いが、現れるには、順現報受といって、この世でした行いが、今生で受けることもあり、順次生受といって、次の生で受けることもあり、順後次受といって、またその第三世以後に受けることもある。



注釈の原文


爰に有在家人、来て問云、「近代在家人、衆僧を供養し、仏法を帰敬するに、多く不吉の事出来たるに因て、邪見起りて、三宝不レ帰思ふ、如何」。 答云、是は衆僧、仏法の咎に非ず、即在家人の自誤也。其故は、仮令人目ばかり持戒持斎の由現ずる僧をば貴くし、供養し、破戒無漸の僧の飲酒肉食等するをば、不当也と思て供養せず。此差別の心、実に仏意に背けり。困て帰敬の功も空く、感応無也。戒の中にも、処処に此の心を誡めたり。僧と云はば、徳の有無を不レ択、只供養す可き也。殊に其の外相を以て内徳の有無を定む可からず。末世の比丘、聊外相尋常なる処と見れども、又是に勝たる悪心も悪事もある也。仍て好僧悪僧を差別し思こと無て、仏弟子なれは此方を貴びて、平等の心にて供養帰敬もせば、必仏意に叶て、利益も速疾にあるべき也。又冥機冥応、顕機顕応等の四句有ることを思うべし。又現生後報等の三時業の事も有り。此等の道理、能能学すべき也。